思わぬ【借金地獄】今日はちょっとグチっぽいけど・・・><!
毎日毎日、銀行が閉まる3時ギリギリまで
小切手が事故を起こさないよう資金繰りに走ります
『ほぼ毎日』ではなく、『完全に毎日』です。
どうしても間に合わないときなど、当時付き合っていた彼女に
消費者ローンを組んでもらいながら・・・><;;;
仕入れ担当者が毎日仕入れをした金額の小切手を
僕が切って渡してあげるのですが、
小切手が事故を起こさないよう資金繰りに走ります
『ほぼ毎日』ではなく、『完全に毎日』です。
どうしても間に合わないときなど、当時付き合っていた彼女に
消費者ローンを組んでもらいながら・・・><;;;
仕入れ担当者が毎日仕入れをした金額の小切手を
僕が切って渡してあげるのですが、
「支払うお金の段取りがつかないから・・・」と言って
小切手の発行を渋ると、
「それじゃあ売り止めになって明日にも会社終わりだな」
みたいな感じで、会社が倒産し、実家が持っていかれるのは
お前のせいだと言わんばかりです。
父親・親戚・兄弟で構成された親族経営の会社のため、
末っ子で、それまで外で働いていた僕は、とても立場の弱いものでした
そんな時いつも僕は、
「子供のころの純粋一途な願い事って、良くも悪くも本当に叶っちゃうんだな」
って思っていました。
子供のころ僕は、毎朝4時頃に父親が仕入れに行くトラックの音を聞いて
「お金なんていらないから、うちの家族がいつまでも元気でいてくれますように」
って・・・両手を合わせて毎日お祈りしていました
マーフィーの法則という本に、「“お金なんて”とかいう言葉を使うと
本当にお金の方から逃げて行きます」とか、書いてあった記憶があります
でもそのお陰か、このブログを書いている今でさえ、70才を過ぎた両親は
それなりに元気で健在です(^^)/よかったです!
最近は、当時に比べると世界が違ったような、穏やかな生活をしています
話がそれました・・><!
僕は、鬼のようなスケジュールをこなしながら、
みんなに認めてもらおうと思い、業界のコトや経営の勉強を続けました
そして、会議などしなかった会社の役員を集めて、
それこそ徹夜で仕上げた資料をみんなに配りました
前にお話しした事業再生的なオファーが来るのは
当時、背水の陣で毎日そればかりを考え続けたお陰かも知れません
しかし・・・親族である役員たちは、僕が徹夜で仕上げた事業再生計画を
開こうともしませんでした
真実の数字を見ることで、現実の避けていた部分に
引き込まれるのがイヤなのか・・・
それとも一番年下の僕が作った計画に対するプライドか・・・
両手をソファーの後ろに投げ出し、
胸を張って足を大きく組んでいる役員・・・
会議など早く終わりにして
はやく『一杯』やりたい雰囲気が露骨に伝わってきます
僕には打つ手が無くなりつつありました。
「僕はみんなの将来を考えて、自分から進んで苦しい立場に入っているのに、
どうしていつも、みんなは僕の言うことを聞こうともしない」
そんな考えが、僕が始めていた広告関係の仕事につながってきます
僕は、起死回生の一手を死に物狂いで模索した結果、
ある発見をしました。広告業界に関連する発見です。
そして、その発見を実行すべく、ビジネスプランを作成しました
一年後には特許も取得し、非常に難しかった県の認定も受けたプランです
(※認定の名称は伏せます。そこから調べると、今でも僕が特定できてしまうので)
そのプランに対し、数人の出資者もあらわれて
僕は株式会社を設立することになりました。
最初の事務所は、お店の休憩所を改造して作りました
設立当初は非常に忙しくなるので、
実家の仕事で僕がやっていた部門は、
みんなが手分けをしてやってくれることになりました。
隙間風のピューピュー入ってくる仮設事務所に
大きな夢をもちこんで
大きな希望を胸に
家族のみんなが、期待してくれました。
その事業の収益性と可能性は、凄まじいものでした
なによりも、「苦しんでいた人達が救われる」といったコトが
ロジカルに構成されているものでした
次回はちょっとだけその事業にふれてみたいと思います
家財道具を表の道路に捨てられた事件は、
その1年後くらいだったと思います
・・・・ちょっと徹夜明けというのもあり、
走り書きで自分でも、書きながら頭が追いついていませんでした(^^;)
ちょっとグチっぽくなってしまい、申し訳ありません
で・・・今回は、親族たちへの不満みたいなものも見え隠れしていましたが、
僕は、親戚たちも、家族のみんなも、心から愛しています
【借金地獄】のすさまじい経験はまだまだ続くのですが
僕はほんとうに、今の家族の一員として生まれてきて・・・
ほんとうに良かったと思っています
小切手の発行を渋ると、
「それじゃあ売り止めになって明日にも会社終わりだな」
みたいな感じで、会社が倒産し、実家が持っていかれるのは
お前のせいだと言わんばかりです。
父親・親戚・兄弟で構成された親族経営の会社のため、
末っ子で、それまで外で働いていた僕は、とても立場の弱いものでした
そんな時いつも僕は、
「子供のころの純粋一途な願い事って、良くも悪くも本当に叶っちゃうんだな」
って思っていました。
子供のころ僕は、毎朝4時頃に父親が仕入れに行くトラックの音を聞いて
「お金なんていらないから、うちの家族がいつまでも元気でいてくれますように」
って・・・両手を合わせて毎日お祈りしていました
マーフィーの法則という本に、「“お金なんて”とかいう言葉を使うと
本当にお金の方から逃げて行きます」とか、書いてあった記憶があります
でもそのお陰か、このブログを書いている今でさえ、70才を過ぎた両親は
それなりに元気で健在です(^^)/よかったです!
最近は、当時に比べると世界が違ったような、穏やかな生活をしています
話がそれました・・><!
僕は、鬼のようなスケジュールをこなしながら、
みんなに認めてもらおうと思い、業界のコトや経営の勉強を続けました
そして、会議などしなかった会社の役員を集めて、
それこそ徹夜で仕上げた資料をみんなに配りました
前にお話しした事業再生的なオファーが来るのは
当時、背水の陣で毎日そればかりを考え続けたお陰かも知れません
しかし・・・親族である役員たちは、僕が徹夜で仕上げた事業再生計画を
開こうともしませんでした
真実の数字を見ることで、現実の避けていた部分に
引き込まれるのがイヤなのか・・・
それとも一番年下の僕が作った計画に対するプライドか・・・
両手をソファーの後ろに投げ出し、
胸を張って足を大きく組んでいる役員・・・
会議など早く終わりにして
はやく『一杯』やりたい雰囲気が露骨に伝わってきます
僕には打つ手が無くなりつつありました。
「僕はみんなの将来を考えて、自分から進んで苦しい立場に入っているのに、
どうしていつも、みんなは僕の言うことを聞こうともしない」
そんな考えが、僕が始めていた広告関係の仕事につながってきます
僕は、起死回生の一手を死に物狂いで模索した結果、
ある発見をしました。広告業界に関連する発見です。
そして、その発見を実行すべく、ビジネスプランを作成しました
一年後には特許も取得し、非常に難しかった県の認定も受けたプランです
(※認定の名称は伏せます。そこから調べると、今でも僕が特定できてしまうので)
そのプランに対し、数人の出資者もあらわれて
僕は株式会社を設立することになりました。
最初の事務所は、お店の休憩所を改造して作りました
設立当初は非常に忙しくなるので、
実家の仕事で僕がやっていた部門は、
みんなが手分けをしてやってくれることになりました。
隙間風のピューピュー入ってくる仮設事務所に
大きな夢をもちこんで
大きな希望を胸に
家族のみんなが、期待してくれました。
その事業の収益性と可能性は、凄まじいものでした
なによりも、「苦しんでいた人達が救われる」といったコトが
ロジカルに構成されているものでした
次回はちょっとだけその事業にふれてみたいと思います
家財道具を表の道路に捨てられた事件は、
その1年後くらいだったと思います
・・・・ちょっと徹夜明けというのもあり、
走り書きで自分でも、書きながら頭が追いついていませんでした(^^;)
ちょっとグチっぽくなってしまい、申し訳ありません
で・・・今回は、親族たちへの不満みたいなものも見え隠れしていましたが、
僕は、親戚たちも、家族のみんなも、心から愛しています
【借金地獄】のすさまじい経験はまだまだ続くのですが
僕はほんとうに、今の家族の一員として生まれてきて・・・
ほんとうに良かったと思っています

