最近話が飛んでいたから【地獄編】の続きを・・(^^)
ちょっと僕の周りにも色々あって
気が付いたら『知り合いの借金相談ブログ』みたいになってました(^^;)
そもそもこのブログは僕が借金地獄から抜け出すまでを書いて、
苦しかった時の備忘録にと思って書き始めたのですが・・・
さてさて、『春』の事件はああいった形で収まったのですが、
気が付いたら『知り合いの借金相談ブログ』みたいになってました(^^;)
そもそもこのブログは僕が借金地獄から抜け出すまでを書いて、
苦しかった時の備忘録にと思って書き始めたのですが・・・
さてさて、『春』の事件はああいった形で収まったのですが、
本当に苦しむのはここからでした
←ポチっとお願いしますm(_ _ )m
ざくっと家財道具を表の道路に捨てられた事件までを、お話してみますが、
実はそれまでは良くある借金苦の話で
そこからが僕の数奇な運命でした
『事実は小説より奇なり』というか
とんでもない渦中に巻き込まれました
あっ!ご安心ください、その数奇な運命とは、
決して池の中から女神が現れる的なものじゃなく、
結果的にこれでもかっっっ!ってくらいに地獄度が増すお話です(^^)
日本中のだれもが知っている団体(暴力団じゃないです)のビジネスに
巻き込まれるのですが、関係者にこのブログが発見されると
今でもちょっとよろしくないので、上手にオブラートしながらお話しします
『春』の事件から、家財道具を捨てられる事件までのあいだも、
ほんとうにトコトンな【借金地獄】の自転車操業で
実家の会社は運営していましたが
それでも3年くらいはどうにかもちました。
人件費が出ないので、仕事は鬼のように増えてきました
僕は経理の仕事
(おもな仕事は自転車操業の段取りと3時までの当座入金)
をしながら、一店舗増えて3店舗分の一般食品の管理
(店舗陳列まですべて)
そして、卸し部門すべてを、
(受注管理・発注管理・伝票作成・仕分け作業)
文字通りの不眠不休でずっと続けながら、
「これでもまだ借金を返す枠にまで届かない・・・」と思い、
もともと僕がっていた仕事を、片手間でこなすことにしました。
(じつは、この仕事を始めたのが切っ掛けで、どえらい運命をたどります)
月間で、卸し部門の売り上げは500万、動く一般食品の金額は300万弱
小切手は毎日発行されるので、毎日当座には走らなくてはなりません。
それらをすべて一人でこなしながら、広告関係の仕事も始めたのです
広告関係の仕事は、当時もうすでに危機感を持っていた
「自宅兼事務所の競売」に対して、防御策を取ろうということで
僕の個人事業という形で登録しました(詳細は割愛します)
で、この広告関係の事業なのですが・・・
みなさんの予想に反し、その仕事は当たりました(^^)
当時まだ珍しかった企画広告をはじめたのですが、
努力の甲斐があり、最終的にはオフセットの印刷機まで導入するほど
収益の高い仕事になりました
しかし・・・・・・
じつはそれが僕にとって、いちばん大きな不幸の始まりだったのです
このブログでは、まだまだ先の話になるのですが、
ちょっとだけ予告編という感じでネタばらしをすると、
将来その事業は、県の補助を受けて展開するほどの事業を持ち
株式会社となります。もちろん代表は僕です
しかしその株式会社は、この時立ち上げた個人事業を受け継ぐので
・・・・家族経営の事業に携わる人間でしたら、
これがどのような展開になっていくのか想像できるかもしれません
でも、あと数階でこの話まで行く予定ですので
ネタばらしはこのくらいで(^^)
既にネタばらしにつながっていくのですが、この先を書いていきます
僕が始めた個人事業は当たったのですが、
もちろんその収益は、実家の事業にまわして行きます
帳簿上は、僕が自分の会社から借り入れをして、
僕が実家の会社に貸し付ける形です
いくら僕の仕事が当たったといっても、鬼のようなスケジュールの中、
たった一人で行う事業です。
実家でおこなっていた、これまた鬼のような借金を抱えた会社にとっては
2年で完全に『詰む』話が、3年に延びる程度の役にしか立ちません
理屈では分かっていても、「どうにかなるだろう」・・・「絶対どうにかしたい」
という気持ちが、さらに輪をかけた【借金地獄】へと導いていきます
そんな地獄のような日々を繰り返し、土色の顔をしながらモガキ苦しみ
当然僕は、起死回生の一手を考えることになっていきます
まだその頃は、2億くらいの借金なら真剣に返せるだろうと思っていました
給料も出ないどころか
それ以上に毎日借金が膨らんでいく会社を続けてです・・・・
ほんとうにバカでした・・・
バカの話は、まだまだ続きます
さらなる大馬鹿に進化しながら
ざくっと家財道具を表の道路に捨てられた事件までを、お話してみますが、
実はそれまでは良くある借金苦の話で
そこからが僕の数奇な運命でした
『事実は小説より奇なり』というか
とんでもない渦中に巻き込まれました
あっ!ご安心ください、その数奇な運命とは、
決して池の中から女神が現れる的なものじゃなく、
結果的にこれでもかっっっ!ってくらいに地獄度が増すお話です(^^)
日本中のだれもが知っている団体(暴力団じゃないです)のビジネスに
巻き込まれるのですが、関係者にこのブログが発見されると
今でもちょっとよろしくないので、上手にオブラートしながらお話しします
『春』の事件から、家財道具を捨てられる事件までのあいだも、
ほんとうにトコトンな【借金地獄】の自転車操業で
実家の会社は運営していましたが
それでも3年くらいはどうにかもちました。
人件費が出ないので、仕事は鬼のように増えてきました
僕は経理の仕事
(おもな仕事は自転車操業の段取りと3時までの当座入金)
をしながら、一店舗増えて3店舗分の一般食品の管理
(店舗陳列まですべて)
そして、卸し部門すべてを、
(受注管理・発注管理・伝票作成・仕分け作業)
文字通りの不眠不休でずっと続けながら、
「これでもまだ借金を返す枠にまで届かない・・・」と思い、
もともと僕がっていた仕事を、片手間でこなすことにしました。
(じつは、この仕事を始めたのが切っ掛けで、どえらい運命をたどります)
月間で、卸し部門の売り上げは500万、動く一般食品の金額は300万弱
小切手は毎日発行されるので、毎日当座には走らなくてはなりません。
それらをすべて一人でこなしながら、広告関係の仕事も始めたのです
広告関係の仕事は、当時もうすでに危機感を持っていた
「自宅兼事務所の競売」に対して、防御策を取ろうということで
僕の個人事業という形で登録しました(詳細は割愛します)
で、この広告関係の事業なのですが・・・
みなさんの予想に反し、その仕事は当たりました(^^)
当時まだ珍しかった企画広告をはじめたのですが、
努力の甲斐があり、最終的にはオフセットの印刷機まで導入するほど
収益の高い仕事になりました
しかし・・・・・・
じつはそれが僕にとって、いちばん大きな不幸の始まりだったのです
このブログでは、まだまだ先の話になるのですが、
ちょっとだけ予告編という感じでネタばらしをすると、
将来その事業は、県の補助を受けて展開するほどの事業を持ち
株式会社となります。もちろん代表は僕です
しかしその株式会社は、この時立ち上げた個人事業を受け継ぐので
・・・・家族経営の事業に携わる人間でしたら、
これがどのような展開になっていくのか想像できるかもしれません
でも、あと数階でこの話まで行く予定ですので
ネタばらしはこのくらいで(^^)
既にネタばらしにつながっていくのですが、この先を書いていきます
僕が始めた個人事業は当たったのですが、
もちろんその収益は、実家の事業にまわして行きます
帳簿上は、僕が自分の会社から借り入れをして、
僕が実家の会社に貸し付ける形です
いくら僕の仕事が当たったといっても、鬼のようなスケジュールの中、
たった一人で行う事業です。
実家でおこなっていた、これまた鬼のような借金を抱えた会社にとっては
2年で完全に『詰む』話が、3年に延びる程度の役にしか立ちません
理屈では分かっていても、「どうにかなるだろう」・・・「絶対どうにかしたい」
という気持ちが、さらに輪をかけた【借金地獄】へと導いていきます
そんな地獄のような日々を繰り返し、土色の顔をしながらモガキ苦しみ
当然僕は、起死回生の一手を考えることになっていきます
まだその頃は、2億くらいの借金なら真剣に返せるだろうと思っていました
給料も出ないどころか
それ以上に毎日借金が膨らんでいく会社を続けてです・・・・
ほんとうにバカでした・・・
バカの話は、まだまだ続きます
さらなる大馬鹿に進化しながら

